History

伊予の水引と金封

四国中央市で生まれた金封と水引

四国中央市で生まれた金封と水引

金封 / きんぷう

一般には、祝儀袋とか熨斗袋と言われている金封は、四国中央市の水引業者が「金を包む封筒」を短くし「金封」と読んだのが起りと言われています。昭和の戦争期には、出征兵士への心付けに水引を結んだ金封を渡した事が評判となり、全国に広まりました。真っ白な紙を折り、中央に水引を結び、右上に熨斗を付けて仕上げる金封はしめ縄と同じく清らかさの境界を示し、自分を正しくして送る方を敬う気持ちを現す日本独特の礼儀になっています 。
水引を結ぶことによって贈り物にこめた思いをしっかりとその中に封じ込めてきたのです。私たちは、これからも人と人を結ぶさまざまな贈り物とともに伝統に息づく日本の心を伝えていきます。

伊予の水引

伊予(愛媛県)の水引産業は、紙産地として知られる愛媛県四国中央市で興りました。四国中央市の南に控える法皇山脈で採取される、楮(コウゾ)・三椏(ミツマタ)そして紙すきに必要な豊富できれいな水と、水引の乾燥作業に適した気候に恵まれ、江戸時代に需要の多かった元結(もとゆい:水引の元の形)の生産は、同時に江戸期に始まった和紙製造と共に盛んになって行きました。
明治期に入り和紙生産から洋紙生産に転換して行った製紙業ですが、需要の有った元結の減少の為、(断髪令による丁髷の衰退によって元結の需要は激減しました)今度は水引の生産を開始したのです。現在では色水引や金銀・光沢フィルムを巻いたカラフルな水引など新製品の開発や、結納飾り、金封、美術工芸品といった水引を使った加工品の製造にも取り組み、長野県飯田市と並ぶ水引の産地となっています。


水引の起源

飛鳥時代、隋(中国)に渡った小野妹子が日本に帰る際、隋からの贈り物に「くれない」という麻ひもを紅白に染め分けた紐が掛けられていました。これは帰路平穏無事を祈願する意味と、「くれない」に包まれた品物が「真心のこもった贈り物」であることを意味していたのです。

水引の起源

水引の名の由来

① 神事説:釈迦が説法した際、宇宙の諸仏をまつり、香木を焚き、花を手折り、それを渓谷から水を引いて洗い清め、塵、埃を洗い流し諸仏に供えました。この「水を引く神事」からその名が付いたとする説。
② 作法説:塵や汚れを流し去る、聖なる清き水、という水そのものが持つ精神性のイメージから「洗い清めた清潔な品物」という意味を持たせるために付いたとする説。
③ 製造過程説紙をこより状にして糊を引き、乾燥させて水を引く。この作業を繰り返して水引は完成します。この水を引く作業風景から付いたとする説。

手漕ぎ水引製造道具
手漕ぎ水引製造道具

元結 / もとゆい

元結とは髪を束ねる細い紐のことです。それまでは麻紐や組紐が使われていましたが、平安時代、紙をこよりにした元結が発明され、 水引も麻紐から紙紐に変わりました。その後水引は、元結の普及と共に全国各地で生産されるようになりましたが、明治の断髪令により元結産業は衰退し、産地は元結の素材である水引を「金封」や「工芸品」の開発へと変化させてきました。

生産していた頃の元結
生産していた頃の元結

熨斗 / のし

熨斗は熨斗鮑(のしあわび)の略。あわびを伸ばして用いたことから「のしあわび」と称され、神事のお供え物や朝廷への献上品に用 いられました。貴重な食料であった「のしあわび」を和紙に包んで贈り物に添えることで、相手を尊ぶ気持ちを表します。水引のあわじ結びも「あわび」を語源とすると言われています。

熨斗 / のし

参考資料:伊予水引金封協同組合 「伊予の水引」